
記事を読んでくれてありがとうございます。
この記事にたどり着いたということは、「放射線技師を辞めたい。」と少しでも思ったはずです。私も現在勤務していて、その一人です。
1.放射線技師になったきっかけと現実のギャップ

1-1.どうして放射線技師という仕事を選んだのか
私は高校3年生の時進路に迷っていた時、父親に「こんな職業があるよ。」と紹介されて、放射線技師の専門大学を受験することを決意しました。
当時は、放射線技師という仕事を漠然としか想像しておらず「ただ、レントゲンとかの検査をする職業の人」といったようなイメージでした。
理系の進路だったので、ちょうどよいと思った節もあるかもしれません。
正直な気持ち、あまり詳しく調べなかったので「黙々と検査をしていれば安定してお給料がもらえる」といったようなイメージがあったと思います。
1-2.10代の自分がなぜそう判断したか
- 当時の私は「この仕事に就きたい」という明確なビジョンがなかった。
- 父親に紹介され「いい進路を見つけた」と、自分でもろくに調べずに進路を決定してしまった。
- 国家資格で「手に職をつけること」だけに魅力を感じた。
- 自分の勝手なイメージで「黙々と決められた検査だけしていれば安定してお金がもらえる職業」という間違った想像が先行していた。

ざっと思い返しただけでも、このようなことが挙げられます。
明確な進路を見据えている学生はそう多くはないですが、
自分が決める進路のことはちゃんと調べるべきでした。
1-3.実際に働いてみて「想像と違った部分」
想像以上にコミュニケーション能力が求められる
なんとか4年間留年せず、国家試験をパスした私。まず、大学病院という大きな施設に入職しました。
そこには放射線技師だけでも50人以上、医師や看護師なんて数百人いる大所帯です。
もともとコミュニケーションが苦手だった私は、最初先輩や同期とうまくやっていくことに苦労しました。
どの会社も同じことが言えると思いますが、入りたてのうちはなりふり構わず「指導をしてもらうように、何でも訊く。」能力がものを言います。
人とのコミュニケーションに億劫だった私は、たくさんいる先輩方とうまくコミュニケーションが取れず、仕事を覚えるのが遅くなり、怒られることも度々ありました。

50人以上となると色々な性格の人もいますしね。
レントゲンやCTを黙々とこなすだけではない(施設による)

新人とは言っても社会人。覚えた仕事を発揮するにはチーム医療の場であるため、看護師や医師などともうまくやっていかなくてはいけません。
ただオーダリングシステムで依頼されたレントゲン、CTなどを撮っているだけでは成り立ちません。
患者さんだっていろいろな人がいますし、その人にあった接遇をしなければ検査に協力してもらえない、トラブルになってしまうなどといった原因となってしまいます。
レントゲンやCTにしても、放射線技師一人では成り立たない場面が多々あります。
具体的には、着替えや介助が必要な場合、複数の技師で対応しなくてはいけなく、ベッド移動も看護師との協力は必須です。CT検査だって造影剤のルート確保は看護師がいないとできないので、黙々とやるという私のイメージは段々かけ離れていきました(もっと調べるべきではありました)。
コミュニケーションが苦手だった私が最も苦手とした業務は「アンギオ(血管造影)」でした。
心臓カテーテルなどの「治療」を行う現場なので医師が治療を行い、技師が機械の操作をするため「空気や先を読む力、知識、円滑なコミュニケーション」を行わないと、治療が進みません。

手術現場でピリピリしており、先生もいろいろな人がいるので時には怒られることもあり、私は非常に苦手な業務でした。
想像以上に体力が必要(施設による)
施設にもよりますが、夜勤や休日出勤のある病院は想像以上に体力が必要です。
私が勤めていた施設の場合、朝から夕方まで日勤業務を行ったあと、1時間の休憩後夜勤入りするという体系でした。
つまり朝から翌日の朝まで病院に拘束され、依頼された業務をやっていかなくてはならないのです。
日勤で予約検査や日頃の雑務をこなし、それなりに疲労が蓄積した状態で、ちょっと休んで、忙しさが読めない夜間対応に入る。これを月に4回くらい行っていました。
夜間対応は重症患者も多く、様々な業務につく可能性も高く、ストレスがかなりありました。
慣れないうちは、夜勤明けで家に帰り、お風呂に入った後1日中寝ているということも多々ありました。そのくらい体力が削られる業務体系だったんですね。
よって、それなりに体力に自信のある人ではないと、24時間勤務のある大きな施設は一度よく考えることを強くお勧めします。
1-4.それでも今すぐに辞められない理由と葛藤

高い学費を出してくれた親への罪悪感
私は私立の放射線技師学校だったので4年間となるとそれはもう数百万という莫大な費用がかかります。経済的支援をしてもらいながらなんとか試験も就職も乗り越えてきたのに、働き始めて「やっぱり向いていなかった。」とあきらめてしまう自分が嫌になることもたくさんありました。

中には奨学金を返済しながら務めている人もいたのでそれは大変だと思います。
国家資格をせっかく取得したのにもったいないという思い
私は学生時代の「国家資格さえ取れば一生安泰で働いていける」という甘い想像で、現実とのギャップに打ちひしがれてしまいました。
時間も親の負担もかけて、手に入れた国家資格であったのに「何か、自分と思ってたのと違った。」という後悔もセットでついてきたとき「あのときほかの進路も視野に入れて、よく考えていれば・・・」と、もったいない選択をしてしまったと思うことも正直ありました。
就職先がなかなか見つからないのではないかという不安
放射線技師は正直なところ求人は少ないです。
医師や看護師のようにどこも人材が不足している職種ではないので、転職はそれほど簡単な決断とはいきません。
そのため、たとえ「放射線技師が自分に合っていなかった」と後悔していても「自分の長所をなるべく生かせる、長く続けられそうな職場の選定」が鍵となると思います。

どうしてもその職場に適応できないのなら、転職はありだと思います。
1-5.同じように悩んでいる人へ伝えたいこと
- 「人と関わることが苦手な人が医療職に向いていないかもしれないという現実」はあるのかもしれません。様々な患者・他職種との綿密なコミュニケーションがうまくとれる人材でないと、放射線技師の仕事はこなすことが難しいからです。
- でも、向いていないと気づくことは悪いことではないです。
- 私も大学病院時代、道を模索していました。何度も辞めるべきか悩んでいました。
- 放射線技師の貴方は孤独じゃない。自分を生かせる現場はどこかしらにある。

私は10年以上務めた大学病院を退職し、得意な整形外科のレントゲンを生かせるクリニックに35歳で転職して今に至ります。
1-6.まとめ
私の放射線技師としての本音をここまで読んでいただきありがとうございます。
今後もブログで「悩みながら生きていくリアル」を発信していきたいと思います。
同じような悩みを持っている方と繋がれたら嬉しいです。
【こちらの記事も参考になれば幸いです。】



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